よくがんばったね…

 父が亡くなってもう二週間が過ぎました。地域の人々に手伝ってもらって無事葬儀を執り行うことができほっとしています。でも、なかなか元の暮らしに戻れないものです。気が抜けた感じです、元気が出ません。

 最期の一週間は身の回りの世話に付きっきりでした。父は、日に日に衰えていくのを決して認めませんでした。ご飯を食べるのも、トイレに立つのも、最後まで自力で頑張ろうとしていました。根っからの農業者、かつての大家族の大黒柱、あるいは一人の男、人間としての「意地」だったのかもしれません。最期まで強いオヤジでした。
 それにしても…、最期はもう少しラクに逝かせてあげたかった。「こわいこわい…」とうめくような声で…それが最期の言葉。ああ、助けてやれなくてごめんよ。ごめんよ。ああ、後悔ばかりです。

 以下、自分の日記です。

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2015/1/31
 やー、きついです。
86歳になる父、一年前以来3回の入院を経験しました。
入院した部屋の天井がクワングワンと動き、その天井の全体に無数の虫が這いまわっていました。ベッドごと別の病院へ運ばれ、とても肩身の狭い思いをしてある知人のお宅で食事をいただいたと思ったら、またあの天井の動く部屋に戻されてしまいました。
父はこうしたありえない体験をまじめに鮮明に説明してくれました。
これが「せん妄」と呼ばれる錯乱状態だ、ということはあとから医師から聞きました。
 その後、だんだんと体力が衰えてきているんだけど、もう二度と入院はしないと言いはります。あの恐ろしい体験をしたくない一心なんです。そういう父を無理に入院させることもできず、ほとんど寝たきり状態になっても、帯広で在宅看護をしているところです。
 小便がちょっとぐらい手についても平気になりました。便の臭いも気になりません。真夜中に目を覚まさなきゃならないのも慣れてきました。
 それにしてもきついです。もうそんなに長く続けられそうにないです…。



2015/2/1
人間は最後の最後まで生きたいとあがき続ける生き物だ、とあるドラマの中で聞きました。父を見ててほんとにそうだなぁ。と思いました。安らかに眠るように、ってありえないのではないか。もうろうとした意識の中で、手も足も動かず、言葉発せず、もうすでに意志を伝える手段がなくなってからもやっぱり生きたい、あきらめたくない。治ってもとの生活に戻りたい。そう思いながら、苦しみもがき続ける…それが人間と言うものなのでしょうか。

目が覚めているときは、深いうめき声を吐きながら、「こわいこわい」と言います。
「どうしたらいいんだ」「なんとかならんのか」とそばにいる者に問いかけます。
しかし、どうにもなりません。
「痛みや吐き気などを止める薬はあるけど、こわさはね…」、看護師の何気ない言葉。
ベッドの上の父の様子はとても見てられない…。
人生の最期に待ち受けている苦しみがこれほどの「こわさ」だったとは…


2015/2/2
昨日の朝、父を入院させる決断をしました。
まだ意識ははっきりしている。だから入院を嫌がる気持ちは変わらないと思う。
でも、自力のチカラがますます弱くなってきて、身体を動かすのも難儀するようになり、だからと言ってまだ寝たきりじゃなくベッドの上で、手足を動かし、布団をはねのけ、「起きる」と言い出すんです。…夜中じゅう。

とその時、もうほとんど聞き取れなくなった弱々しい声は「駒畠へ帰りたい」と聞こえたんです。
駒畠を出てもう十数年、いや20年かな。忙しい時は必ず帯広から駆けつけてトラクターのハンドル握る、そして仕事を終えて「じゃ帰るから」と告げて帯広へ帰って行った…そんな日々を過ごして来ました。だのに、もう動けなくなった今になって…。
「早く支度をしなきゃ」「こんな身体で帰れるべか」「何してるのよ。だらだらすんな」と言う。だから、耳元で「今日はもう遅いから明日にするべ」「ちゃんと用意しとくから今日は寝るべ」と言って落ち着かせようとしました。
 そうやって一晩過ごした翌朝、またこわそうにうめき声をあげる父に、「病院へ行くぞ」「病院へ行くぞ」と二度告げました。「病院へ行ったらきっともっと楽になるぞ」と。返事なんてもうできません。そんなチカラも残っていません。
 救急車を呼び、入院の支度をして、そうして、父が長い間住んできた帯広のウチを、二度と帰って来れないこのウチをあとにしました。

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 おっかあが「ありがとね」と声をかけました。自分も「よくがんばったね」と言ってやりました。息子たちにも看取られて…。2月5日午前1時過ぎ、父は86年の生涯を閉じました。