スケートの話

 駒畠でスケートが始まったのは自分が中学の時です(小学校の時の記憶がないです)。初めからスピードスケートだけでした。親や先生方が総出でグラウンドにリンクを作り、子供たちは体育の授業はもちろん放課後もみな滑っていましたよ。運動の不得意だった自分はいつまでたっても上達せず、転んでばかりでした。とにかく足首が痛くなってつらかった、という思いでしかないですね。
 その後、速い子が出てきて、親も先生も夢中になって、しまいには畑に400mリンクを作る人まで出てきました。
 自分の子供たちが小学校の時はそこまでじゃなかったけど、親として、12月になったら毎晩グラウンドのトラックに水を撒き一週間ぐらいかけてリンクを造成し、年を越す頃から次から次と開かれるスケート大会が控えてて、子供たちの練習に付き合い、練習が終わったら親交代でリンクの水を撒いたり、大会の前の晩にはスケートの刃を研いだり…。大会では朝早く出かけてはテントを張って、子供たちが力を発揮できるよう準備をする。お父さん方は大会役員、お母さん方は子供たちに豚汁を用意したりね。…やーほんと大変だったね〜。
 親がスケートうまくなかったからウチの子供たちもそんなに速いわけではなく、速い子の引き立て役でしたね。一冬をケガをしないように乗り越えるのを祈るのみでした。
 今となっては懐かしいんだけど、子供たちが卒業してPTAが終わった時はホッとしました。当時の写真を探したんだけどこれしか出てこなかった。いかに力が入っていなかったか、ということですね^^;;。

 今はスポーツ少年団活動の一つとして、やっぱり毎年各学校の校庭にスケートリンクが作られていて、子供たちの多くが参加しているようです。
 そんなことを思うと、今開催されている平昌オリンピックでの高木姉妹の活躍は、50年ほども前から今に至る十勝の、幕別のスピードスケートへの情熱の賜物のひとつなんだろうな、と思いますね。