遺族に返したい

 たまたま自分が公区長をやってたので、町から遺品返還の活動をしている人の話を聞いてくれ、と頼まれました。先日その方たちがやって来ました。青森県の浜田哲二さん夫妻と手伝いをしてる学生さんでした。浜田さんの遺品返還活動について、こちらに詳しく載っているので参照ください。そして、ある一人の兵士がここ駒畠(旧 弘和地区)に縁があるようだ、とのことでした。ここに詳しく紹介しますので、何かの心当たりのある人が見つかればいいなぁ、と思います。



 沖縄戦で亡くなった「田中幸八」という人の写真と、その妻の「輝子」さんが戦後、隊長に宛てた手紙があり、それを遺族に返したいとのことです。封筒には差出人「田中輝子」さんの住所が「幕別村弘和区」と書かれています。以下、その文面の一部を紹介します。

 はじめてのお便り、ご免くださいませ。
 私はこの度、沖縄島の朱里方面にて戦死を遂げたという報を承りました、田中幸八の妻でございます。過日はごていねいにお知らせ下され、誠にありがとうございました。去る六月十一日に受け取りました。

(中略)

 私達は昭和十九年四月、大阪より北海道の実家へ疎開いたしておりましたのです。夫からは、昨年二月末まで便りがありました。その後、あの通りの激戦になり、牛島中将以下、最後の突撃の報を聞きました時は、もうだめだと覚悟をしておりましたが、また沖縄にはたくさん兵隊さんが生存しているというお話を聞きますと、またもしかしたらと、色々と心が迷ってなりません。
 思えば、昭和十六年七月十七日、元気で出征したあの姿、今もはっきり目に浮かびます。隊長様、本当に戦死したのでしょうか。夫はもう帰らないのでしょうか。ああ、何も考えまい。すべてが天命です。
 姿は見えなくとも、夫はきっと生きている。私の心の中に、強くつよく生きています。そうして二人の子供の成長を、きっときっと祈っていて下さる事を信じます。今後は心の夫に励まされ、強く正しく生きる覚悟です。
 夫の出征当時は、長男は四才、長女は二才でしたが、今では上は三年生、下は来年の入学を楽しみに待っております。二人共、父の愛というものを知りません。今は何も知らず、真っ黒になってはねまわっています。
 二人の子の父となり、母となり、強くつよくいきます。

(中略)

 では乱筆乱文にてお許しくださいませ。何卒ご自愛専一にお祈り申し上げます。 かしこ

 伊東孝一様    田中輝子 拝

 この手紙に同封されていた写真が、夫「田中幸八」さんでその裏に

昭和十九年二月十一日
〇〇にて写す 田中上等兵
此れを大阪の輝子のところに送ってください お願いします

とあります。

 昭和36年ころまで弘和地区に田中さんが住んでいたことはわかっているのですが、幸八さん輝子さんとの関係がわかりません。子供さんたちは今80才前後と思われます。なんとかこの手紙と写真をお返ししたいもんです。